【家出の理由】

「しばらく旅に出ます」と部屋の机の上に置き手紙をして家を出た。1981年12月23日のこと。高校3年の冬、17才だった。


※35年前のまさに今日家出を決行して単独上京し好き勝手に生きてきて今に至る。今でこそ親とも適度な距離感で仲良くしてはいるものの、当時は何ヶ月間もの間どこかで生きているのか死んでしまったのかさえ分からない行方不明の親不孝息子。親兄妹はもちろん周りの方々に沢山の心配や迷惑をかけたのでその事を忘れてはいけないし、自分自身を戒める意味でもここに書き記しておきたいと思うのだ。少なくともあの日を境に親の期待を大きく裏切ってしまったのだから。ここに書く事はもちろん親や兄妹にも話した事がないし今後も話す事はない事だと思う。そしてまた他の誰かに話す事も無いであろう。根掘り葉掘り俺の事を知りたいと思うモノ好きな人間が現れない限りはね。だから書き記しておく必要がある気がしている。


家出は決して突発的なものではなかった。
中学校に上がった位の頃だろうか、いやもっと前からだったかも知れない。自分自身の内側からメラメラと沸き上がってくる何かがあった。自分を取り巻く者の目が届かない場所、誰も知らない場所で一から自分自身を作り上げるとでも表現したら良いのだろうか。自分の事は自分で決めたい、そんな願望がどこかにあった。
『巨人の星』とか『タイガーマスク』とか『あしたのジョー』『どっこい大作』『傷だらけの天使』とか観て育った事も大きく関係しているかも知れない。地べたから這い上がる人生みたいなのがカッコいいと思っていた。百恵ちゃんの赤いシリーズドラマの赤い衝撃の中では中条静夫が扮する大山産業の創立者の大山豪介が「俺は裸一貫で大山産業を築いたんだ」と豪語するシーンが幾度もあった。ドラマの中の話ではあるがこの“裸一貫で”という言葉には特にグッと来たものだ。
リアルなところではやはり父親の存在だった。父親は極端に保守的な人間だ。そんな父親に対する反発は大きかった。子供ながらいつしか生まれ育った佐賀で一生暮らす事は人生において敗北であるかのように考えるようになっていた。これを父親が読む事はないとは思うが、ほんの少しでも父親の事を嫌いだとは思った事がない。とにかく厳しい父親でもちろん煙たいとかうるさいとか恐いとは常に思っていたが嫌いだと感じた事はない。尊敬している部分も沢山あるし、今でもこんな時は父親だったらどう考えるだろうかとか判断基準は常に父親な気もするくらいなのだから。

17才で家出を決行したのも理由がある。16才では子供過ぎて職につくにも難しいであろう。そして18才は既に大人の扱いだ。後に誰かが言っていたが18才を過ぎると家出とは言わないとね。俺もそう思っていたのだ。大人になったら独立した個の人間とみなされるわけだからね。

人の言葉を借りてしまうけどビッグになるまで家には帰らないつもりで紙袋一つ下げて家を出た。カッコよく書いてしまったが、決して家出を奨励とか正当化しようとかしているわけではない。ただあの日に家出を決行した事をほんの少しでも後悔はした事がないしきっとこれからも悔いる事はないだろう。またそういう人生を送らなけれならない。

2016年12月23日
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