お酒が特に好きってわけでもなく習慣的に飲むわけでもない俺が、まさかまさかの、、BARのマスターに!!

飲み屋を経営、切り盛りする事になるなど思いもしなかった事だった。

BAR『ラムホリック』だ!

しかし、今思えば俺の人生においてラムホリックをやっていた事、「マスター」や「タケさん~」なんてお客さんから言われていたその時間はまるで神様からの贈り物のような時間だった。


よく“第二の人生”なんて言葉を聞くと背筋がゾッとするのだが、まさにそんな感覚でそれまで生きてきた自分とは違う自分を発見できた時間であって、実に奇妙で有難い経験だった。


ラムホリックの創業者である修一氏には感謝している。


ちょうどあのパワハラ社長のラーメン屋を辞めたぐらいの頃にラムホリックへ飲みに行き、修一マスターからお店を引き継いでやらないかとの提案であった。


迷いは無かった。


修一マスターはとても魅力的な人間であったし、オールディーズやロックンロール、ややサイコビリー色の強い危険な雰囲気、そのCOOLな彼のお店を引き継げることは光栄な事だった!


お店の内装を変える事から始めた。修一マスターと俺のキャラクターのギャップを埋める必要があると感じていたからだ。当時一軒家をシェアしていた同居人F氏に手伝って貰い壁のペンキ塗りをやった。

店内には自分の好きなもの気に入ったものだけを陳列した。エルビス、エディー・コクランやバディー・ホリー、ジーン・ビンセント、またオードリー・ヘプバーンのポスターを壁に貼り、自分のカスタムギターや小物をディスプレイした。そして好きな音楽をかける。自分の城に人を招待しているかのように楽しい。


客商売だというのに、お客さんのほとんどは年下で「タケさ~ん」「マスター~」などとお客さんの方が敬って接してくれるわけだ。手土産や、どこそこに旅行に行ったとか言ってはお土産を頂くこともしばしば。
俺の誕生日となれば沢山のお客さんがお祝いしてくれた。
もちろんそれまでの自分自身の人生経験や積み上げてきたことがベースにあっての事だろうが気分が良いものだった。
経営はいつもギリギリで大変だったが、そういう面ではこれほど良い商売はないと感じていた(笑)


カクテルやフードメニューを考えたり、ショップカードを作ってはあっちこっちで配ったもんだ(笑)

ライブイベントもやった!第一回目のイベントなんて多くの人が殺到し入れないお客さんを帰してしまうという嬉しい悲鳴をあげた。後にその日になんと50人近くの人が来てくれていた事が分かった。

それから、自分の城を持って「マスター、一曲お願いします~」「しょうがねぇなぁ~、一曲だけだよ~」なんて言って5曲ぐらい披露するなんて夢を、音楽をやり出したぐらいの頃から抱いていたんだ。

この夢は叶ったわけだねd(^_^o)

思えばラムホリックをやっていた5年間の間には色んな事があった。不思議なもんで常連さんというのは少しずつ入れ替わるものでその時期その時期でドラマがあるのだ。
沢山の出会いがあった。思えば昭和ファキーズもラムホリックのご縁だ。そして、ファキーズのイベントも沢山やったし売上的にもかなり助けられたんだ。

いろんなお客さんが来たが高円寺という土地柄もあり時々は有名人も来てくれたな。


東日本大震災もこの頃だった。

俺は家で寝ていた時で揺れで起こされ、テレビで津波の映像を見ていたりしていた。俺も呑気なもんでのんびりとお店を開けようと向かうと、なんとお店の中が割れた酒瓶でぐちゃぐちゃだった。その時に初めて事態の重大さを認識したんだな。

お店の荒れ具合から当分は営業出来ないのではないかと思った。
床に流れ出た色んなお酒が混じり合いまるでカクテル状態になったお店は酷い臭いだった。割れた酒瓶やCDを片付けた。ガラス片でザクザクになったCDはほとんど捨てるしかなかった。床を洗い流し5時間後ぐらいになんとか営業するに至った。

こんな事態の状況で来るお客さんなんて居るのかと思いつつの営業だったが、次から次へとお客さんが集まって来た。携帯も繋がらない状況だったのでみんなの情報の交換の場となったわけだ。あの時はお店をやってて良かったと思った。

でもあの震災の後は確かに何かが変わったね。あれを機に田舎に帰った人も多く居たようだしお客さんも減った。

暇な時間はよくギターを弾いていた(笑)



まあ、そんなこんなの高円寺に城を構えたわけだが、高円寺でお店をやるということ自体が自分の中で最も不思議な事だった。

そもそも長い東京生活ずっと中野区に住んでいて、お隣の高円寺は近いようで実はほとんど縁の無かった場所だったんだ。

結婚した時に元嫁がどうしても高円寺に住みたいと言うので住んだようなもんだけど、何を隠そうその住まいがラムホリックの数軒隣だったんだな。

なんと2年半という短い期間で離婚し、残された俺が高円寺の住人となって、またラムホリックのマスターになったわけだからね(笑)

人生いろいろ有りますな( ´ ▽ ` )


それからそれから、一部の常連さんは知っていたはずだが、生活のためにラムホリックをやりながらもう一つの仕事を持っていた。

それはまた次に書くとします。


つづく(^ー゜)

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コメント
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タケさんがラムホのマスターじゃなかったら…出逢うこともなかったですね。

自転車で買い出しに行くタケさんの姿を懐かしく想い出したりします。
タケさんがいない高円寺は淋しいですね。
bebe2号 * URL [編集] 【 2014/09/01 13:06 】
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ふふふ(o^^o)言われてみれば高円寺を自転車でよくうろうろしたもんです。

今でもあの自転車で博多とか天神辺りをうろうろしているわけですが(笑)
キャラメル王子 * URL [編集] 【 2014/09/02 20:44 】
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